「太田家」の雑記

太田家で起こっている情報をひっそり配信。
誕生会
3月6日(日)に我が家にて誕生会があった。私は2月17日生まれで65歳。前期高齢者の仲間入り。何かあったら老人と表現されてもブーイングできないかも。愛子さん3月6日生まれで62歳。つまり私が愛子さんの誕生日に強引に(?)合わされて合同誕生会となった。私の方が前期高齢者ということで意味深いんだけどね。私と愛子さんとの力の差かな。
愛子さんが「自分の誕生日なのにせっせと料理するのは結局私なのよね。」という声が届いたのかどうか各人持ち寄りの誕生会となった。愛子さんの妹が煮物、その娘がデザート。うちの長女がひじきのサラダ。長男の嫁さんがレンコン入りハンバーグ。愛子さんも大根を大きく切って穴をあけてエビや野菜などを入れ茶碗蒸しにしていた。食べるものが多すぎて私は愛子さんの料理を食べなかった。
例によって宏介のハッピーバースデーの歌。「dearお父さん、ママ〜、happy birthday to you!」お父さんとママとうまく歌い分けしている。私は決してパパと呼ばれず、愛子さんもお母さんとは呼ばない。
食べた料理はみんなおいしかった。少しずつしか食べないんだけどね。愛子さんは料理が上手。その妹はもっと上手。ケーキを食べる時にも宏介がハッピーバースデーを再度歌った。主役の座は私でも愛子さんでもなく1歳4カ月孫にさらわれてしまった。めでたしめでたし。

PS 年の初めに今年は3月に宏介と韓国へと書いていたけど10月に延期になった。まあこっちの方がよかったかなと思っている。この3月は作家活動しているからね。
| しんのすけ | - | 19:22 | - | trackbacks(0) |
作家活動一カ月
「どうなってるの?その後」と声をかけられた。何の事かと言うと作家活動の事。タイトルは「自閉の宏介30歳これからもよろしく」に決まったよ。私が考えた、当たり前と言えば当たり前か。
お世話になっている大詩人と出版社の方に秀巧社で会って原稿用紙80枚、A5版の本になるので40ページ分を渡せた。大詩人と出版社の人もここまで進んだとは思ってなかったみたい。
あ、さかんにでてくる大詩人というのは秀巧社で私と愛子さんの同僚だった女性です。40数年のお付き合いかな。彼女は台湾国籍で帰化してごく普通の女性になってしまった。普通でないのは運動神経のなさ。歩くのもたどたどしく「ドラは歩行者免許がいるっちゃないと?」なんてからかったりした。性格ものんびり。ドラとは大詩人のあだ名。ともすれば本当の姓は何だったか忘れてしまう。普通でないのは大詩人であること。詩の世界での芥川賞といわれる「H賞」を受賞した。詩の世界ってものすごく縁遠くて「H賞」のすごさが今一つわからないんだけどね。当時読んでた週刊新潮の告知板という欄にドラがでていた。この欄はあらゆるジャンルの人がでてくるんだけど、有名人であるのが前提。愛子さんいわく「もうドラとか呼んだらいかんやろうね」と言うが「でもあのしゃべり方や歩き方をみてたらドラでいいやろうもん」と言う事で現在もドラ。そのドラがディレクターの役目をしてくれるので心強い。出版社の方もドラとのお付き合いあり。
最初文章が書けなかった時ってやはりかっこつけようとおもったりしたのかな。出版すると言い出したのは宏介の兄、信介。この信介が私にブログを書くように言い、そのブログを読んでみて出版を思いついたらしい。そうであるのなら、ブログの延長のように自閉の宏介30歳、これからもよろしくを書けばいいと開き直った。それで書けるようになった次第。A5版180ページのうち宏介の作品のカラーページが16ページ、宏介の第二画集に載った絵の先生、大詩人、愛子さんの対談をスライドさせたものを20ページなどなどね。そんなこんなで100ページぐらいは私が書くことになる。あと80ページちょっと頑張るかな。私が頑張るのは高校受験の時の中3以来かな。
| しんのすけ | - | 10:09 | - | trackbacks(0) |
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